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中欧の旅・Beograd[2]
DAY8 2009.05.02

■ベオグラード(セルビア)

バスターミナルのクロークにバックパックを預けて
カレメグダン公園にリベンジしに行った。今日は快晴。文句なし。

カレメグダンとはドナウ川とサヴァ川が交わる地点に
かつて築かれた城の名前。今では城塞跡が残る公園になってるんですよ。

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その前に寄り道。オスマン朝から自治を獲得したミロシュ公&リュビツァ妃の屋敷。

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ベオグラードの中心部・テラジエ付近。
カレメグダン公園へはここから北西にひたすら歩く。

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昨日は灰色に見えたベオグラードの街が、今日はなんだか気持ち良い。

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カレメグダン公園の入口から来た道を眺める。

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土産屋やアイスクリーム屋が並び、トイトレインも走っていた。
週末に家族連れで楽しめる場所のようでしたよ。

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子供達がよじ登って遊んでました。

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右手がドナウ川、左手がサヴァ川。奥は新市街ノーヴィ・ベオグラード。
ドブロヴニクも良かったけれど、ベオグラードのこの景色が今回いちばんの思い出。

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オスマン朝が攻撃を仕掛けようとした時、白い朝もやに包まれた街が
陽の光を受けてキラキラ輝く様から「白い都」と呼ばれるようになったそうです。

米原万里さんの『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』を取り出して
「白い都のヤスミンカ」をここで読んだ。

僕にとってベオグラードは再び来たい街のひとつになった。

 
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中欧の旅・Beograd[1]
DAY7 2009.05.01

■ザグレブ→ベオグラード(セルビア)

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朝6時20分にベオグラード本駅到着。ついに来たぞ白い都。

ベオグラード本駅には両替所、ATM、インフォメーション、コンビニ、レストランと
ひととおり揃っている。すぐ隣がバスターミナルで、ここにも売店やパン屋が立ち並ぶ。

駅前のホテルにチェックインして、早速外に出てまず目についたもの。

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剣道。

ちょうど5月に行われたテニスのセルビア・オープンの広告もあちこちで見た。
セルビアといえばノバク・ジョコビッチですね。

それはいいとして、まずは空爆跡を見に行くことにした。

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ベオグラード本駅。白い都はどことなく茶褐色、あるいは灰色。
街の印象は天気にずいぶん左右されるな、と今回の旅でよく分かった。

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駅前から南東にのびる坂道を登っていくと
このクネズ・ミロシュ通りに出る。ここが通称「空爆通り」。
1999年のNATO空爆の標的となった建物が、破壊されたままの姿で残っている。
ここを北東にずんずん進んでいくと…

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ここだ。これだ。

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窓ガラスは吹き飛んで鉄骨は丸見え、今にも崩れそうな姿を晒していました。
解体も修復もせずにそのまま残しているのは、教訓なのか金なのか。

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建物を取り囲むフェンスの落書き。

あまり長居するのも何なので、次は聖サヴァ教会を見にいくことに。
東方正教系では世界最大だそうで、遠くからでもよく見えるんだけど、とにかく遠い。
『歩き方』の地図じゃ、もはや圏外ですよ。

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途中にあるマクドナルド。特にご当地メニューはなし。
コソボが独立宣言した時には暴動の標的にもなったそうだ。

ちなみにこの日はメーデー、赤い旗の下に集会を行う市民と
警備に当たるポリスメン達の姿が少なからず見られた。

で、聖サヴァ教会ですよ。地図にない道(…?)をずんずん歩いていくと

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ずんぐりむっくりしたこんな建物が出てきます。

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聖サヴァ教会の前にあった標識。
「不審者に追いかけられる女子」にしか見えない。

この後、街の中心・テラジエを抜けて
城塞の残るカレメグダン公園まで行ったけれども、この日は天気がいまいちで
次の日にもう一度行くことにした。

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中欧の旅・Zagreb
DAY6 2009.04.30

■ドブロヴニク→ザグレブ(クロアチア)

朝6時過ぎの飛行機でクロアチアの首都ザグレブへ。
ザグレブからセルビアの首都ベオグラードを目指す。憧れの白い都ですよ。

7時過ぎに空港着、そこからバスで約30分で市内バスターミナルへ。
そこからザグレブ中央駅へは歩いて20分くらい。

ザグレブ発23時55分のベオグラード行き夜行チケットを入手。
コインロッカーにバックパック預けてさてどうしよう、と思ったのが8時半。

あと15時間もあるのか…しかも雨だ。
こうなりゃひたすらザグレブを歩き倒すしかない。

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まずはミマラ博物館。ここは絵画と各国美術工芸品を展示。
日本のもあったけど、受付のおじさんがめちゃくちゃいい人だったことしか覚えてない。

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市場を見てその国を知る、ってのは面白いですよね。
ボスニアのスーパーで手に取った食料品はたいていクロアチア産で
旧ユーゴの中ではクロアチアと隣のスロベニアがツートップなんだなと思った。

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聖母被昇天大聖堂。ザグレブのランドマーク。ようやく雨があがってきた。

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大聖堂のある地区は高台になっていて、その下を利用した市場もあった。
肉やら野菜やらパンやらを扱う店がずらっと並ぶ。

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うっかり見落として通り過ぎてしまいそうな、ナイーブアート美術館。
原田泰治さんの絵も展示されています。ここも素敵だった。

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聖マルコ教会。何ですかねこのかっこいい屋根。レゴみたい。おっと。

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教会前にあった巨大イースターエッグ。

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クロアチア国立劇場。黄色の外装が素敵だ。

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僕の旅の友は千里唱子さんの 『暇さえあれば旅行したい!』 という漫画で
クロアチア編が載っている巻を今回は持って行った。そこに書かれていた聖カタリン教会。

漫画の中で、千里さんが正面の祭壇に近づいてみると
「ん?あれ?おおっ!何とっ!そういうコトか! これは行ってみてのお楽しみです」 
というくだりがあってですね。何としてもこれが何なのか確かめたかったんですよ。

中でしばらく祭壇をじーっと見つめていたんですが…

じーっと見つめていたんですが…

分からない!!

クロアチアに再び来る機会がこの先あるとも限らないし
この秘密を知ることもなく一生を終えるのか…それでも…と思ってまた見つめると…

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!!

ワレ発見セリ!アルキメデスの気持ちが分かった!!これだ!!!
ほんとね、これはちょっとやそっと見ただけじゃ分からないと思う。感動しますよ。

場所はナイーブアート美術館のすぐそば。
詳細紹介はありませんが、『歩き方』の地図にも載っています。

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ザグレブ中央駅の正面に建つ、初代国王トミスラフ像。

結局めちゃくちゃ都会なザグレブでは、駅となりの地下モールは21時まで開店、
フードコートはもっと遅くまでやっていたし、駅裏のマクドナルドは深夜まで営業していて
時間をつぶすのには全く困りませんでした。

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車体に書かれたキリル文字に心おどらせながら、
ベオグラード行きの夜行列車に乗り込みました。

 

中欧の旅・Dubrovnik[2]
DAY5 2009.04.29

■ドブロヴニク(クロアチア)

僕が泊まっていたソベはわりと繁盛しているようだった。
部屋であーまた1人来たなと思っていると、ドアの外から聞こえてきたんですよ。

「1号室にジャパニーズボーイがいるよ」と。1号室ってここだ。
ボーイか僕は。それでいいのか。

サラエボやモスタルと違い、ここは世界の観光地だった。
みんな英語喋るし、日本語メニューがあるレストランも多かったですよ。

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早朝のスルジ山。今日こそ青い海と赤い屋根を。

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高台から城壁と旧市街を見下ろしてみる。

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旧市街にも行ってみる。まだ朝6時を過ぎたばかり。

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きれいな街づくりを陰で支える方々。お疲れさまです。
この日は昼前から晴れてきたので、よっしゃ行くぞと壮絶な覚悟で城壁散歩に出かけた。

旧市街を取り囲む全長およそ2キロの城壁の上は
遊歩道になっていて、ぐるっと1周することができるんですよ。

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こんな感じで。途中には要塞や見張り台もある。
チケットは50Kn(1クーナ≒18円)。途中検札があるので失くさないように。

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これですよこれ、見たかったのは。来て良かった。
僕が今更言うまでもないけれど、素敵な街ですよドブロヴニク。


<おまけ>

●『歩き方』に紹介されている刺繍専門店「バチャン」。
奥さん社長、僕は過労死、未来の希望はこの娘(美女)だけ、と言うご主人が
渡してきた名刺は奥さんのもの。「クチコミダイジ」と。面白かったですよここ。

●ピレ門脇の公園にあった。おしり痛くなりそう。

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中欧の旅・Dubrovnik[1]
DAY4 2009.04.28

■モスタル→ドブロヴニク(クロアチア)

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モスタルのバスターミナル。
7時のバスでクロアチア・ドブロヴニクに出発。料金32KM。
ドブロヴニクといえば青い空と青い海と赤い屋根、ですよ。

10時過ぎにドブロヴニク到着。
到着するやいなやソベおばちゃん達がわらわら。
明後日の朝4時半に空港に連れていってくれるってのを条件に
旧市街のすぐそばだというソベに決めた。

バスターミナルから車で15分ほどでソベ到着。
迎えてくれたのはソベおばちゃんの弟。この弟、僕を部屋に案内する途中に

「ヤマシター サイトー オガワー」

オガワ…??小川直也かっ!!マニアックだな。そうでもないのか?


さあ青い青い海だ、アドリア海だ、紅の豚だ、と思って外に出てみると

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まるで日本海。

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ドブロヴニクには2日いるのでチャンスはもう1日ある。
気をとりなおして旧市街に出かける。

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城壁で囲まれた旧市街、ここはその入口のピレ門。
中央にいる聖人ヴラホの像をよーく見てみると

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左手に街を抱えてるんですよ。

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ピレ門をくぐってちょっと歩いたところにあるオノフリオの大噴水。

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その隣にあるフランシスコ会修道院。の中庭。

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こんな感じで壁画の修復作業が行われてました。

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旧市街はこういう路地が、それも急な坂が多い。

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いよいよ雨も降ってきて街はどんより。
明日に賭けようと思ってソベに帰ると、どこかで見覚えのある顔とばったり。

昨日モスタルで会った日本人夫婦の旦那さんでした。
聞けば新婚旅行で中欧を回ってるんだそうで、この後はポーランドだかチェコだか。
僕はこの人達と同じ場所で同じ客引きに捕まったんだ…すげーな。

ちなみに僕はそろそろいい歳なので
最近は結婚だの何だのと話題にされることばっかだけど
パリだのローマだのより、一緒にボスニアに行きたいと言ってくれる人がいい。

何の話だ。

今夜のフライトで出発するというので、その前に夕飯を一緒に食べた。

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山盛りムール貝とビール3杯で満足。


中欧の旅・Mostar
DAY3 2009.04.27

■モスタル(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

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サラエボ中央駅。
列車の本数は恐ろしく少ない。1日に10本程度だった気がする。
チケットを買っておこうと前日に窓口に行ったら「混まないし当日に買えばいい」と。
確かにバスと比べると公共交通としての利用価値はぐんと落ちるようだった。

モスタル行きは朝7時に出発。料金は9.9KM(1KM≒80円)。
ボスニアの通貨はコンベルティビルナ・マルカ(兌換マルク)。通称カーエム。
チケットは手書きの紙発券だった。

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地味にリクライニングするこの硬い椅子。
意外と言っては失礼だけど、出発も到着もほぼ時間通りだった。

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山を越え越え、9時半頃にモスタル到着。

こっちはソベ、いわゆる民家の一室に泊まるプライベートルームが多く
列車を降りたとたんにホテルとソベの勧誘合戦に巻き込まれた。
そのうちのひとり、駅のすぐそばだという初老の女性に捕まってみた。

連行、じゃない案内される道すがら、昨日そこに泊まったという日本人夫婦に会った。
「見た目は怖いけど中は普通だから」と言われ到着すると…

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怖いっちゅーか。アバンギャルドな落書きは万国共通ね。

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確かに中はきれい。
後で聞いたところによると、内戦で旦那さんを亡くした後に始めたそう。

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建物から見たモスタル駅付近。さっそく市街に出た。
ここには「スタリー・モスト」という、オスマン朝時代に建てられた橋があるです。
内戦時に破壊されるも2004年に再建、世界遺産に指定されてるですよ。

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もうちょっと天気が良ければな。

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橋の両岸には土産屋とレストランがずらっと。

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そういえば旧市街を歩いている時に、背後から「This is Chinese」と言われた。
いやいやちょっと待ってよと思ってたりすると、街ではこういうバスをよく見かける。

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ボスニアを走る黄色いバス。これ日本のODAによるもの。
よく見かけるわりにいっつもタイミングを逃して、こんな盗撮まがいの写真しかない。

 

中欧の旅・Sarajevo[2]
■サラエボ五輪施設を巡る

今回の旅行の目的のひとつ、1984年サラエボ冬季五輪の跡をたどってみました。

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どこだったかなこれ。
確かサラエボ中央駅の近くにあった案内板。銃痕と劣化具合が涙を誘う。
マスコットは伝説のオオカミがモチーフになったという「ブチコ」。

まずはスケート会場だった「ゼトラ」を目指しました。
市内中心部からコシェボ通りをひたすら北上、『歩き方』には15分とあるけど
絶対もっとかかる。上り坂なのでなおさら。

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まず目に飛び込んだのがこれ。
内戦時に犠牲者を埋葬する場所が足りなくなったため
かつてのグラウンドを墓地としたそうです。白い墓標がどこまでも広がる。

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墓地を抜けると遠くに見えてくるこれは…?

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清掃工場の煙突だと言われても信じるなきっと。

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墓地の奥にある「ゼトラ」。

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本当に「宴のあと」だなぁ…。

次にこちらもスケート会場だった「スケンデリア」を目指しました。
ゼトラから南下することおよそ1時間。いやもう歩いた歩いた。

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空港からのタクシーでスナイパー通りを通っている時に
「あそこはショッピングセンターだ」と教えてもらったんですが
行ってみると地下に靴やら服やら店がいっぱい入ってました。

建物前の広場にはローラースケート少年やゴーカート少女がいっぱいで
ゼトラとは対照的な賑わいでしたよ。
 
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バシチャルシァにはその場でプリントしてくれるTシャツ屋がいくつかあり
そのうちのひとつで買ったブチコTシャツ。色は他にも赤・青・黒が選べた。
「100% BOSNIAN」 なんておいそれと着れないロゴもあった。

 

中欧の旅・Sarajevo[1]
DAY2 2009.4.26

■サラエボ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

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サラエボの宿は日本で入れたはずの予約が入ってなかった。
どういうことだ!! とキレることもなくレセプションでただ途方に暮れてみたら
空いていた4人部屋を使わせてくれた。

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到着翌朝の風景。市内を流れるミリャツカ川。

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旧市街・バシチャルシァのシンボル、「セビリ」

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バシチャルシァ付近での路上チェス。おっさん達が群がってた。

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これもバシチャルシァ近くの青空市場。
1994年2月に迫撃砲が打ち込まれ、68人の市民が犠牲に。

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ここが「サラエボ事件」の現場。

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「スナイパー通り」
内戦当時、ここの通りを動くものは全て狙撃兵の標的となったことから。
この先をちょっと行って左折すると、映画「サラエボの花」の舞台・グルバヴィッツァ。

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内戦時に各国ジャーナリストが集結したホリデイ・イン・サラエボ。

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穴、穴、穴。

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と思えばこういう建物もある。
朝、ここで若い警備員が嬉々としてハトを追っかけ回していて
別の警備員と「クレイジーだ」「どこにもああいう奴はいる」と納得しあった。

 

中欧の旅・Wien
DAY1 2009.4.25

■成田→サラエボ

10:55発オーストリア航空ウィーン行き。フライト予定は12時間。
オーストリア航空のCAは真っ赤だった。頭のてっぺんからつま先まで。すげえ。

001

ウィーン時間で16時前到着予定が、ちょっと早めに15時には着いた。
サラエボへの乗継便は20時前出発。さてさて。

とりあえず空港の外に出てみたんですよ。
したらば「市内まで16分!CAT(City Airport Train)!!」とあるじゃないですか。
いやそんな ! はなかった気がするけどそう見えた。こりゃ行くしかない。

ウィーンの予備知識なし。そもそも通貨は何だ?ユーロか。良かった。
CATの券売機に置いてあった路線図+地図が頼り。切符は往復16ユーロ。検札も来た。

004

あっという間にウィーン・ミッテ駅に到着。
駅を出て右に行ってすぐまた右にずんずん行ってみると、こんな交差点に出た。

002

高い空の青に建物の白が映えて、開放的だった。
交差点を右に曲がってずんずん行くと、広場に来た。

003

カール教会。マリア・テレジアの父カールさんが建設を命じたんだと。
ってその時は名前しか分からなかったけど。

と、歩き回ってたらいつのまにか17時半を過ぎていて
これはさすがにやばいだろうと思って駅を目指したら道に迷った。
いよいよやばいだろうとウィーンの街中をダッシュした。リュックで良かった。


ウィーンからサラエボへは1時間ほどのフライト。
周りの人の手という手には、あの★がいっぱい並んだ国章つきのパスポート。
ボスニアはもうすぐ。

  

中欧の旅
ありがとう世界同時不況

12連休となった今年のGW

ボスニア・ヘルツェゴビナ⇒クロアチア⇒セルビア⇒ルーマニア と
11日間かけてバルカンを旅行してきました


今回の旅行を決めたもの3つ


■映画 「サラエボの花」
sarajevonohana

サラエボに暮らす母エスマと娘サラ
娘は戦争で死んだ「シャヒード(殉教者)」である父親を誇りに思っている
だがサラの父親は実は…

ボスニア内戦から10年以上経ったサラエボを
1984年の冬季五輪でヴィットやトービル&ディーンが演じた舞台を見たいと思った


■米原万里 『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』
yonehara

ロシア語通訳だった故・米原万里さんが
プラハ・ソビエト学校時代の同級生3人を探して30年ぶりの再会を果たすノンフィクション
そのなかにユーゴスラビア出身の同級生もいた

「白い都」ベオグラードをぜひ見てみたいと思った


■浦沢直樹 『YAWARA!』
yawara

ベオグラードで開催された柔道の世界選手権
420km離れたザグレブに降り立った新聞記者・松田がタクシーで爆走

いやもちろん爆走させたのは
タクシーのランパラパンパンパーンな運ちゃんですけど

たぶんこれを初めて読んだときから
「ベオグラード」って響きに惹かれてたんだと思う


最初はボスニアとセルビアだけのつもりだったけど
どうせなら紅の豚的な青い青い海が見たいと思ってクロアチアも
EU加盟後のルーマニアを見たいと思って3年振りにブカレストも行くことにした

あと、中途半端に移動しない旅は間違いなく腐ると思ったから


サラエボin⇒ブカレストout のチケットで4/25に出発しました